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2022.07.01

【後編】林の「動物病院経営奮闘記」~国内開業から海外進出までの道のり~

ノア動物病院 院長の林です。

私は現在、日本国内で4つ海外ではベトナムで動物病院の運営をしております。
そんな私のこれまでの道のりを赤裸々に記した経営奮闘記をみなさんにお伝えしていきたいと思います。

今回は後編です。
では続きからどうぞ!

中編はこちら


アメリカから帰国してからは、日本とアメリカの獣医療の違い、そして獣医師教育システムの違いなどにから、日本にはまだまだ様々な問題があることに気づいてしまい、悶々とした日々が続きました。

ところが、このとき私の実家の近くである八王子で、ペットを飼っている人しか住めないマンションを建てるので、一階に動物病院を入れて欲しいというオファーが来ました。

みなさんの中には、甲府と八王子っていくらなんでも離れすぎでしょうと思った方もいるかもしれません。
ところが甲府‐八王子間の移動時間は一時間ちょっとです。広大なアメリカにいたので距離感がなくなっていたわけではありません(笑)。
実は、八王子病院の場所の将来性に惚れてしまったのです。そこで私は八王子での開院を決意しました。

当時珍しい犬のしつけ教室を開始、県外から通う飼い主も

八王子病院の周辺は新興住宅地なのですが、病院の入っているマンション以外は野原、野原、野原
しかし、土地の開発計画を望みに、私自身は地道にアメリカで学んだ腫瘍学、ドッグトレーニングを中心に病院をオープンさせました。

病院内には、医療設備以外にしつけ教室を行える部屋をつくりました。
当時、犬のしつけ教室をやる場所が屋内にある施設はほとんどなく、千葉や埼玉から多くの犬達がしつけ教室に通ってくれました

おかげさまで今の八王子病院の周りは家、家、家と、20年前が信じられないくらい発展しています。
ちなみに八王子病院は現在の場所に2008年に移転していますが、2000年当時この場所はただの山で、造成もされていないような場所だったのです。

移転した八王子病院では、動物病院の隣にどうしてもドッグカフェを併設したかったので病院中心というよりはカフェ中心の作りになったちょっと変わった病院です。残念ながらドッグカフェは続かず、現在は犬も入店可能な欧風カレーのお店になっています。

城東病院が移転、面積は一気に10倍に

敷島病院を開院したのは2004年です。実は、翌年に最初に作った城東病院を移転することが決まっていたのですが、ペットフィールドさん(大型ペットグッズ店)の強い要望で先に敷島病院を開院しました。
山梨県内では初の大型ペットグッズ店だったので、多くのお客さんがお店にも病院にも足を運んでくれました。

翌年の2005年に城東センター病院を開院しました。
旧城東病院は30坪くらいの面積の病院でしたが、城東センター病院は300坪。一挙に十倍の広さになり、文字通り山梨県内では一番の動物病院になりました。
スタッフも山梨、八王子をあわせて70人の大所帯になりました。

CTがある動物病院としてテレビに取り上げられる

設備も最新機器を備え、CT撮影が可能になりました。
CTのある動物病院ということでテレビのニュースでも取り上げられました。
それまでCTが必要な症例は、東京や神奈川の大学病院まで行かなければならなかったので、かなり便利にもなったと思います。

また、今は二代目のCTですが、おとなしい猫ならば無麻酔で撮影が可能なほど撮影スピードの速いものになっていますが、次はほぼ全ての動物が無麻酔で撮影できるCTの導入を考えています。
そうなればレントゲンと同じように侵襲なく高度な画像診断が可能になります。

猫専門病院 Hako bu neco を開院

2008年には伊勢病院をやはりペットフィールド新平和通店内に移転し、新平和通病院を開院しました。
山梨県内にペットフィールドが二店舗ありますが、その両方が動物病院併設になりました。
このあと、諸々の事情によりこの病院は2014年に閉院しました。この諸々の経緯は後ほどお話します。

2014年には敷島病院をペットフィールドから移転しました。
移転の日は、山梨で記録的な大雪が降った日で、結局引越しは延期になりました。
幸か不幸か私はこのとき、ラスベガスにおりました。遊びじゃないですよ。外科実習の勉強会に参加していたのです。
灼熱のラスベガスで、日本が大雪と聞いて、何言ってんの?という感じだったのを覚えています(スタッフの皆さんゴメンなさい…)。

そして、この年の七月には山梨県内初の猫専門病院、ノア動物病院Hako bu neco(ハコブネコ)を開院しました。一年の間に二件の病院を開院させたのは日本広しと言えど私だけかな?

諸事情でインショップから撤退

さて、ではなぜインショップから病院を撤退させたのかについてお話ししましょう。

実はある危機感からなのです。このペットフィールドは、はじめドラッグストアが経営していたのですが、なんとこの時期に経営者が変わると言われたのです。

新しい経営者はペットショップが母体で、どうもその経営手腕に不安を感じたのです。
野生の勘、とでもいいましょうか。これについてはさすがに多くは語れませんが、その辺はご察しください。
そして決断したのは、インショップからの撤退です。

猫のことを考えた和テイストの内装

当時、獣医師も足りない時期だったので、新しく病院を興すならもっと特色のあるものをと思い、猫専門病院を作りました。
ここは林どうぶつ病院発祥の地でもあり、本当に懐かしい場所で、今まで何も使っていなかったのですが、猫専門病院として復活させたのです。
この病院は、これまた他には見られないほど和のテイストの動物病院にしました。院内の待合室には、畳が敷いてある小上がりになった場所があり、掘りごたつが備えてあります。こたつの横には本物の竹を植えました。
エゴのように見えるかもしれませんが、外の刺激に敏感な猫に、少しでも落ち着いてもらおうと考えたなりの内装になっています。

ここまでが、日本国内における私の動物病院開院の歴史です。
お待たせしました、ここから先が海外展開の話です。

数十年遅れをとっているベトナムのペット事情

まずは、ベトナム病院開院の話をしましょう。
ベトナム病院の話は元々、長野県で佐々木動物病院を営んでいらっしゃる佐々木先生からいただいた話なのです。

実は四−五年前から、私は東南アジアに目を向けていました。
日本で学んだ私たちの知識や技術が活かせるところとしては、東南アジアが今一番いい場所だと思っていたからです。

過去には、上海に動物病院見学に行ったりしたこともあります。しかし、中国はいまでこそよく言われているチャイナリスクの問題があり、いまいち踏み切れない部分がありました。
そんな時、ベトナムのお話をいただいたのです。

ベトナムのペット事情は、飼い主の所得レベルにも関係しますが、おそらく私が生まれた昭和の後半と同じくらいなのではと思います。
フィラリア予防やその他ワクチンもまだまだ普及していません。
しかし、スマホやネットは日本以上に発達しています。そんな新しい社会に、動物病院がどう位置づけされるのかを考えただけでもワクワクします。

全国から集まった6人の獣医師で立ち上げたプロジェクト

今まで亡くなってしまったり、治らなかった動物たちを救いたい!そんな共通の想いをもった日本の獣医師5人で、今回のプロジェクトを立ち上げました。
メンバーは長野の佐々木動物病院から佐々木先生、東京のゼファー動物病院から上條先生、広島の川野獣医科医院から川野先生、福島のすげの動物病院から菅野先生、そして私です。
今では大阪のきど動物病院の城戸先生も加わって6人で運営しています。

このプロジェクトが本格的に始動したのは2012年からです。
はじめは順風満帆かと思われました。ベトナムでの物件決定、スタッフの日本研修までは順調に進みました。
その甲斐あって、この時のベトナム人獣医師・スタッフは日本語の通訳兼動物ケアスタッフとして働いてもらっています。

問題が起きたのはまさにもうそろそろ開業だという二ヶ月ほど前です。
なんと共同経営者であるベトナム人パートナーが、とんでもない食わせもんだったのです。

契約書にまさかの罠が…

そもそもベトナムでは日本人単独で会社を作ることはできません。必ずベトナム人が経営に携わっている必要があるのです。
そこで、佐々木先生と二年以上親交のあるベトナム人がパートナーになっていたのですが、このベトナム人が不正な契約書を交わそうとしていたのです。

ベトナム語は非常に難解でよくわかりません。
もちろん契約書はベトナム語で、そこに日本語訳が付いている書式でした。
そこに書いてあったのはこうでした。

ベトナム語の契約書だけには開院から一年経ったら、所有権がそのベトナム人に移行するというものだったそうです。
もちろん日本語訳のものには全くそのことは書かれていませんでした。
つまり、最初の出資だけ日本人にさせて、順調になったらその動物病院はベトナム人の所有になるという内容だったのです。とんでもないですよね。

なぜそれが発覚したかというと、どこの国にも正直な人間はいて、そのベトナム人の会社で雇われていた男性スタッフが日本人側に教えてくれたのです。
その功績もあって、彼は今ベトナム病院でマネージャー的な仕事をしてもらっています。

国が変われば働き方も変わる

また、そんな最中にこんなこともありました。
紆余曲折しながら機材も搬入したのですが、今度はその医療器械が不良品で動かない、現地の医療機器屋も取り付けに来ると言って来ない、日本では当たり前の約束事が守られないことも開院が大きくずれ込む原因でした。

ベトナム人はできないことも、笑顔で軽くオッケーという傾向があるようです。
当然、私たち日本人はそれを信じます。でも、笑顔がさわやかであればあるほど内容がうまく伝わっておらず、結果的にその仕事はできない、ということがわかってきました(笑)。

仕事を頼んでも、一週間以上なんの連絡も来ないなんてことはざらにあります。
そして、連絡してみると、全然伝わっていなくて、そこが依頼のスタート地点になる。仕事がどんどん遅れていくのはこういうことの積み重ねだったんです。

さすがに私たちも学習したので、その後はこれほどの遅れはないにしても、国が違うと働き方も全然違うということが身にしみてわかりました。
日本人はなんて勤勉で、正直ものなんだろうと思います。

学生の皆さんも海外で活躍できるチャンスがある

これで上手くいくと思った先のコロナウイルスです。
ご承知のようにコロナウイルスは全世界に拡大し、ベトナムにも当然感染が広がりました。ベトナムは社会主義国家なので何の保証もなく、平気でロックダウンを行います。

すると自転車操業していたベトナムの動物病院は立ち行かなくなり、潰れてしまいました。2020年のことです。

しかし、現地スタッフと私達の熱意でまた動物病院を復活させました
未だ新しい病院になって日本人獣医師はベトナムの病院に行けてないのですが、ベトナム人スタッフが頑張ってくれています。

今後は日本人獣医師の常駐が目標です。
ぜひ若い皆さんが日本で経験を積んでベトナムで働く姿を見たいと思っています。

実は世界的には今後も人口が減っていき、高齢化が広がります。
そんな中、若い世代が勢いのある国や、今は貧しいけど豊かになりたいといバイタリティの溢れる国が今後の世界を牽引していくと思っています。
そんな国々の発展に少しでも貢献したいというのが今の私の想いです。

ぜひ今後ともノア動物病院に注目してください。
一緒に働きましょう、きっと新しい発見があると思います!